「思い出の日」
2017年 02月 18日
見知らぬ男の人がやって来て、ご家族の写真を撮らせてもらったのだがそれが写真雑誌のコンテストに入賞したのでお礼にと、大きな包みを置いていった。シンプルな額に入った写真は四つ切りのサイズに引き伸ばされていて、その写真雑誌と、ご丁寧にプレゼントの腕時計まで入っていた。その人は、私の父と子供が近所の公園で遊んでいるところへ写真を撮ってもいいかと訊ねてきて、連絡先も控えていったらしい。広い空間を生かした構図に、笑顔で走り寄る男の子と、見守る祖父は手前にゆったりと座っていた。
いい写真だ。躍動感があるし、ぼかしたフォーカスが懐かしさをだしている。
おじいさんと子供をいうのはいつも絵になるなと、私は少し羨ましくなった。
写真は「思い出の日」と題されていた。審査の評には「本物の笑顔」という言葉があった。
この写真を見ていると平和で、世の中には差別も貧困も、国々の頭のおかしなリーダー達も、テロも原子力汚染も環境破壊もないのではないかと思える。父は九州の厳格な人で、口数が少ないといえばきこえはいいが年中仏頂面の無愛想な男だったが、70中ばをすぎて孫ができるとコロリと変わった。やわらかな笑顔をひろげるようになった。ひとつの笑顔はもうひとつの笑顔をつくったが、世界を変えることはできない。これから子供達が生きる世界は一体どうなるのだろうと途方に暮れる一方、この笑顔が一日でも長く続くことを願う。
これはいつか「思い出の日」になってしまうのだから。
いい写真だ。躍動感があるし、ぼかしたフォーカスが懐かしさをだしている。
おじいさんと子供をいうのはいつも絵になるなと、私は少し羨ましくなった。
写真は「思い出の日」と題されていた。審査の評には「本物の笑顔」という言葉があった。
この写真を見ていると平和で、世の中には差別も貧困も、国々の頭のおかしなリーダー達も、テロも原子力汚染も環境破壊もないのではないかと思える。父は九州の厳格な人で、口数が少ないといえばきこえはいいが年中仏頂面の無愛想な男だったが、70中ばをすぎて孫ができるとコロリと変わった。やわらかな笑顔をひろげるようになった。ひとつの笑顔はもうひとつの笑顔をつくったが、世界を変えることはできない。これから子供達が生きる世界は一体どうなるのだろうと途方に暮れる一方、この笑顔が一日でも長く続くことを願う。
これはいつか「思い出の日」になってしまうのだから。

▲ by masakohappymusic | 2017-02-18 00:30 | 日記