• フォロー|
  • ログイン|
  • ブログを作る!(無料)

「Masako Hamamura, pianist/composer」の更新通知を受け取る場合はここをクリック

Masako Hamamura, pianist/composer

masakoh.exblog.jp

ブログトップ

カテゴリ:日記( 81 )   

  • 「思い出の日」
    [ 2017-02 -18 00:30 ]
  • 「あかるくなってる」
    [ 2016-01 -27 21:40 ]
  • 森重さんとのデュオ
    [ 2014-07 -28 21:42 ]
  • 昌昌デュオ at Jalan Jalan
    [ 2014-02 -10 22:38 ]
  • 濡れた背中に乾いた足〜新しいキューバの友達について
    [ 2013-06 -11 16:58 ]
  • 暗闇にて
    [ 2013-03 -03 13:55 ]
  • 演奏のご案内
    [ 2013-02 -01 02:04 ]
  • CPの思い出
    [ 2012-11 -26 01:38 ]
  • ましろなみみになりたい
    [ 2012-10 -08 18:19 ]
  • Bookstore Blue
    [ 2012-08 -21 03:19 ]
  • まさまさ ーブレンドとデュオ
    [ 2012-05 -17 13:30 ]
  • 葉桜見
    [ 2012-04 -21 20:50 ]
  • きのう
    [ 2011-12 -24 09:50 ]
  • 柿ひとつ食らい、今年も秋になる
    [ 2011-10 -27 07:12 ]
  • news
    [ 2011-10 -01 21:53 ]
  • 午前三時の奇妙な夢
    [ 2011-03 -07 16:22 ]
  • 初めて原詩を読んだ
    [ 2010-11 -07 09:08 ]
  • 今夜のごはん
    [ 2010-10 -28 09:01 ]
  • ぶどう狩り
    [ 2010-10 -26 08:52 ]
  • ことしのなつ
    [ 2010-09 -11 15:10 ]
  • 力作フライヤーズ
    [ 2010-08 -01 20:30 ]
  • Songbookによせて(5) 〜Second Night Moon
    [ 2010-07 -17 10:43 ]
  • Songbookによせて(4) 〜Porter La Porte 「扉を運ぶ」
    [ 2010-07 -16 23:37 ]
  • Songbookによせて(3) 〜光りの四月
    [ 2010-07 -13 22:02 ]
  • Songbookによせて(2) 〜A Youngman On The Roadside
    [ 2010-07 -09 23:13 ]
  • Songbookによせて〜トールの日
    [ 2010-07 -08 22:08 ]
  • あじさいを見ると
    [ 2010-06 -25 22:07 ]
  • trio CD review
    [ 2010-05 -12 08:58 ]
  • 夢春
    [ 2010-04 -17 18:17 ]
  • then in Jakarta
    [ 2010-04 -02 17:43 ]
  • Signal To Noise と行く東南アジア紀行 其の四
    [ 2010-03 -22 10:17 ]
  • Signal To Noise と行く東南アジア紀行 其の三
    [ 2010-03 -18 11:34 ]
  • Signal To Noise と行く東南アジア紀行 其の二
    [ 2010-03 -15 09:56 ]
  • Signal To Noise と行く東南アジア紀行 其の一
    [ 2010-03 -13 18:13 ]
  • 2010n
    [ 2010-02 -24 20:20 ]
  • みかん賛歌
    [ 2010-02 -06 21:15 ]
  • 無言地帯 パート2
    [ 2010-01 -21 10:10 ]
  • 晴朝空
    [ 2009-12 -03 01:01 ]
  • 100年に一度のソロ、、
    [ 2009-11 -15 20:44 ]
  • almost fall
    [ 2009-11 -03 05:09 ]
  • 午後、
    [ 2009-10 -28 22:49 ]
  • china is
    [ 2009-09 -19 00:19 ]
  • such a belated live report...
    [ 2009-09 -15 23:46 ]
  • such a belated live report...2
    [ 2009-09 -15 00:07 ]
  • 力作フライヤー
    [ 2009-08 -21 22:51 ]
  • 栗天国
    [ 2009-08 -11 01:25 ]
  • Needful Things
    [ 2009-07 -28 09:27 ]
  • スウェーデンの夏至
    [ 2009-07 -09 10:36 ]
  • The last night in Paris
    [ 2009-06 -30 08:40 ]
  • Tours -the night-
    [ 2009-06 -19 21:55 ]
  • Bonjour Paris!
    [ 2009-06 -18 22:52 ]
  • Tours - skies-
    [ 2009-06 -15 22:27 ]
  • down to Tours
    [ 2009-06 -14 07:11 ]
  • Chinon - Chapelle Ste-Radegonde
    [ 2009-06 -13 15:35 ]
  • Chinon - the town
    [ 2009-06 -12 03:00 ]
  • つたう
    [ 2009-06 -10 18:22 ]
  • アトリエ・タンポン
    [ 2009-06 -01 17:35 ]
  • 28 mai
    [ 2009-05 -29 23:58 ]
  • j'attends
    [ 2009-05 -27 05:08 ]
  • la Maison de la Radio France
    [ 2009-05 -24 17:50 ]
  • ある飛行
    [ 2009-05 -22 16:41 ]
  • The Picture
    [ 2009-05 -21 18:07 ]
  • flowers for
    [ 2009-05 -11 00:07 ]
  • Needful Things
    [ 2009-04 -25 13:36 ]
  • 包帯と坂道
    [ 2009-04 -23 03:28 ]
  • 無言地帯
    [ 2009-04 -13 01:26 ]
  • のどか
    [ 2009-04 -11 01:47 ]
  • 旅
    [ 2009-03 -20 14:13 ]
  • Bali smiles
    [ 2009-03 -16 09:23 ]
  • Bali smiles
    [ 2009-03 -16 09:08 ]
  • インドネシアの人は
    [ 2009-03 -09 10:16 ]
  • 蝶に
    [ 2009-03 -01 00:23 ]
  • ひとで
    [ 2009-02 -28 21:29 ]
  • nowhere island
    [ 2009-02 -22 01:44 ]
  • 外食ラッキーday
    [ 2009-01 -29 02:11 ]
  • 湖の西は雪
    [ 2009-01 -14 01:22 ]
  • my french girlfriend (for sale)
    [ 2009-01 -04 11:26 ]
  • 節目に思う
    [ 2009-01 -01 15:56 ]
  • dec 12 青谷音楽堂、13 Jalan Jalan 「舞いとおと」
    [ 2009-01 -01 14:39 ]
  • nov. 22, 23 橋爪亮督(ts)清野拓巳(g)浜村昌子(p)萬恭隆(b) recording at the Jalan Jalan
    [ 2009-01 -01 13:42 ]
  • sep~oct 08 / Joe Rosenberg Quartet 香港~China Tour
    [ 2009-01 -01 12:43 ]
▽ この カテゴリの記事をすべて表示

12345次へ >>>

「思い出の日」   

2017年 02月 18日

見知らぬ男の人がやって来て、ご家族の写真を撮らせてもらったのだがそれが写真雑誌のコンテストに入賞したのでお礼にと、大きな包みを置いていった。シンプルな額に入った写真は四つ切りのサイズに引き伸ばされていて、その写真雑誌と、ご丁寧にプレゼントの腕時計まで入っていた。その人は、私の父と子供が近所の公園で遊んでいるところへ写真を撮ってもいいかと訊ねてきて、連絡先も控えていったらしい。広い空間を生かした構図に、笑顔で走り寄る男の子と、見守る祖父は手前にゆったりと座っていた。
いい写真だ。躍動感があるし、ぼかしたフォーカスが懐かしさをだしている。
おじいさんと子供をいうのはいつも絵になるなと、私は少し羨ましくなった。
写真は「思い出の日」と題されていた。審査の評には「本物の笑顔」という言葉があった。
この写真を見ていると平和で、世の中には差別も貧困も、国々の頭のおかしなリーダー達も、テロも原子力汚染も環境破壊もないのではないかと思える。父は九州の厳格な人で、口数が少ないといえばきこえはいいが年中仏頂面の無愛想な男だったが、70中ばをすぎて孫ができるとコロリと変わった。やわらかな笑顔をひろげるようになった。ひとつの笑顔はもうひとつの笑顔をつくったが、世界を変えることはできない。これから子供達が生きる世界は一体どうなるのだろうと途方に暮れる一方、この笑顔が一日でも長く続くことを願う。
これはいつか「思い出の日」になってしまうのだから。
a0108217_0283113.jpg

▲ by masakohappymusic | 2017-02-18 00:30 | 日記

「あかるくなってる」   

2016年 01月 27日

「あかるくなってる」

去年のことだが、日が暮れて暗くなると息子がしきりに窓の外を指差して「あかるくなってる」と言い出した時期があった。彼は言葉が遅く、主語が抜けていたりおかしなしゃべり方をしていたが、右左を覚えたと思ったらわざと逆を言ってニコニコしていたり、曜日を間違えなくなったと思ったら、「今日は◯曜日!」と違う曜日を言ったりしていた。だから私は、またわざと反対の事を言って楽しんでいるのだろうと思っていた。
「夜になったらお空、暗いでしょ。朝になったら明るくなってるよ。」
私はそう言いきかせたが、様子がだんだんおかしくなってきた。毎日毎日夕方暗くなると「あかるくなってる、あかるくなってる」とひつこく言い、私が「ううん、お外、暗いよ。夜よ。」と言うと、また「あかるくなってる!」と言い続け、私が何度言っても言い続けるどころか、私が同意しないのにイライラしているようだった。ついにこちらが疲れてきて「はいはい、明るくなってるね。」と、少々投げやりに言うとやっと黙ったが、ぐっと口を曲げて悲しそうな顔になった。何でママは分かってくれないんだろう、言わんばかりに。

時には出かけていて暗くなってから帰り道を歩いていても、空を指差して「あかるくなってる」と言う。そして、私の同意を求めて大きな声で何度も何度もそれを繰り返しだす。私はすれ違う人の目を気にして「暗いの!もういいから静かにして。」とか言う始末。「あかるくなってるのー!」と地団駄を踏んだり、時には泣き出したり。
たかがこんな事だが、毎日続いてくるとこちらも辟易した。

ある日、日暮れに息子が窓の外を見ていた。そしていつものごとく外を指差して、「あかるくなってる」と私を見た。
おかあさん、ほら、あかるくなってるよ、わかるでしょう。
私は、彼の指先にひとつ明るく光る街灯があるのに気づいた。ああ、そうか、私はやっと分かった。ぼんやりした薄暗さの中で、その蛍光灯は固く白い光を放っていた。小さな目にはその光が強烈に映ったのだろう。細部を見ていた息子と、全体を見ていた私。日が暮れて暗くなる、という当たり前だけ見ていた私。
その街灯が明るく光るのを見つけたのを、彼はつたない言葉で一生懸命伝えようとしていたのだ。
「ほんまやね、電気、あかるくなってるね。」
息子は、やっと分かってくれてたとばかりににっこりとした。

街灯には周りの暗さに反応するセンサーがあるらしく、時刻ではなく一定の暗さ加減で点灯する。その時間に合わせて一緒に窓の外を見ながら「もうすぐあかるくなるかな。」と待ち、電気がつく瞬間を見て「あ、あかるくなったね。」と言うと、「あかるくなった、あかるくなった!」と息子は大喜びした。それがしばらくの日課になった。
a0108217_21401754.jpg

▲ by masakohappymusic | 2016-01-27 21:40 | 日記

森重さんとのデュオ   

2014年 07月 28日

土曜日は和歌山Jalan Jalan にてチェロの森重さんと数年ぶりのデュオ。

完全即興はここ最近あまりしていない。楽曲の形式の中で演奏するのがより楽しくなったのと、即興をするならこの人と、というのが決まってきたからだろう。森重さんはその中でも一番の人だと思う。

演奏の後の打ち上げ(打ち上げ?ここの打ち上げは静かだ)で話をきくと、彼は骨董屋の業者から置物にもならないボロボロのチェロを買ってかろうじて修理した、というものを使っているという。弓はスチューデント・クラスのもの。プロフェッショナルな弦楽器奏者からするとありえないセッティングだという。

演奏が始まった時、「途切れないこと」、と思った。
これは全く単純な事だけど、私には難しい時がある。森重さんは途切れない。とにかくここについて行くことから始めた。

いろんな意味で、少し何かが開けたような演奏ができたと思う。

写真は飛び入りしてくれた若き即興ベーシストとのデュオ。これもまた素晴らしかった。

もっともっとニュートラルになりたい。真白な音を紡ぎたい。
a0108217_21323119.jpg
a0108217_2132589.jpg
a0108217_21332745.jpg

▲ by masakohappymusic | 2014-07-28 21:42 | 日記

昌昌デュオ at Jalan Jalan   

2014年 02月 10日

昨日は昌昌デュオ、Jalan Jalan での演奏でした。早い時間の演奏でお店に着いたのは3時。ログハウスにやわらかく午後の光りが差し込んでいる。今回二日目とあって曲もこなれているし、ピアノも最高のコンディション、ここでの演奏は3年半ぶりだけど、前と変わらない空気感でリラックスしてできそうな感あり。
なんと遠方からのお客様もゾクゾク。。(関東から3名!神戸方面からも3名)
a0108217_22273684.jpg

そして開演前には満席に。。
先日のBorn Freeと同じく、ブラジルものの2曲で始めました。それからスタンダードにオリジナルを少しまぜて。アンコールの Spring Is Hereで、私のワガママでまささんに横に立ってもらいました。お客さんからは聴こえ方が変わってしまうんだけど。。多分、音が近いだけやないんやな、大きなピアノの向こうにいるよりも、空気の振動の感じられ方が好き。
a0108217_22283016.jpg

このデュオは、多分私がやってきた「ユニット」的なものの中で一番長く続いてると思います。まあ年1、2回なんですけどね。で、いろんな時期があったんだけど(歌詞付きの曲書いては自分らで歌う、というシュールな時期もありました。笑。)今二人ともメロディーのきれいな曲やシンプルな曲をただ美しく演奏したいっていうとこにきていて、今回初めて取り上げたカエターノのAvarandado や Unforgettable みたいな曲がヒットするんやと思います。

帰りの車の中で

昌:音楽の「間」をもっと研究せなあかんと思うんですよね〜。ピアノってボクが吹いてない間一人で弾いてはるわけじゃないですか。で、それ聴いてたら「間」がすごいなって思うんですよ。

昌:ふーん、、(いまいちイミが分からず、でもとりあえず)ありがとう。(と言っとく)でもさ〜ずっとメロディーを吹いてるわけやん、(彼のソロはもうメロディーの一部やと思っている)私はさー、誰かがメロディー奏でてるまわりで風景つくるのが好きやねんけど、ずっと単音で紡いでいくのってどんな感じ? 鳴ってるコードとかどんなふうに聴こえてんの?

昌:人によっていろいろですよねー、、、このデュオの時は、、毛布にくるまってゆっくりとんでってる感じですかね。

昌:え、、(再び全くイミが分からず、でもやっぱり)ありがとう、、なんかいい感じそうね、、がんばるわ。

とか話してると高速の分岐を間違え、無駄に大阪の中心を通って帰って来た二人でした。。。

いつもあたたかく迎えて下さる店主の青柳さん、集まってくださったみなさん、飛び入りのたけやす君、ありがとうございました☆ Jalan の木の響きに包まれての演奏、最高です。
a0108217_22264792.jpg

▲ by masakohappymusic | 2014-02-10 22:38 | 日記

濡れた背中に乾いた足〜新しいキューバの友達について   

2013年 06月 11日

最近キューバ人の友達ができた。アメリカの大学に行ってたせいでキューバ人とアラブ系の知り合いはいなかった。初キューバン・フレンズである。
こういう人達と話していると、自分の世界がいかに狭いかが分かる。
キューバと聞いて何を連想するか、、常夏、サルサ、チェ・ゲバラ、社会主義?
映画「ブエナビスタ・ソシアルクラブ」で一時サルサやキューバのミュージシャンが注目を集めたが、実際のキューバは遠い国だ。
「キューバって、私ミュージシャンだしサルサのイメージしかないんだけど、実際どうなの?」
私の愚かな質問に親切な友人は答える。
「ひどいよ。僕はもう帰りたくないね。」
日本大好き地元大好きの私には考えられない。
「情勢は大変だけど、自分が育った家とか、においとか、ご両親もいるんでしょ、寂しくない?」
「まあ、そうだけど。仕方がない。帰ったら捕まるかもしれないし。」
「!!捕まるの??」
その人はジャーナリスト、ライターで10年以上国外に住んでいるが、キューバに対する批判的な事も書いてきたらしい。もちろんキューバでは言論の自由はないので、彼はもう祖国には住めない、というわけだ。

キューバでは選挙に行かないと捕まる可能性があるそうだ。
「でも一党しかないんでしょ?何の選挙なわけ?」
「その通り。その一党の中で誰かを選ぶんだよ。で、みんな同じだからもちろん何も変わらない。だから選挙に行ったって無駄。でも選挙は強制で、政治家は「選挙で選ばれた」ってことになってる。選ぶべき者がいないのに選挙に行かないと捕まる。ひどいだろ。うちの両親はお願いだから選挙に行ってくれと僕に頼んでたけど、一回も行った事ないよ。」
「ふーん、、、」
今の日本の状態も決して良いとは言えない。どこの国にも問題はある。私も日本の未来に対しては少々悲観的だが、抜け出さなくてはいけない状態の国もあるわけだ。
私は亡命者と話をしている。
「アメリカとキューバの間では合意があって、キューバ人がアメリカに到着して自分はキューバ人だ、とキューバのパスポートを見せたらアメリカはそのキューバ人を受け入れなきゃいけないんだ。もちろん飛行機では行けない、船でだよ。年間何万人ものキューバ人がアメリカに亡命してるんだよ。」
「へー!国交がないのにそんな簡単に亡命できるの?」
「うん。でもアメリカの海域で保護されたキューバ人はキューバに強制送還される。足を一歩でもアメリカ国土に踏み入れたら受け入れられる。」
「へーーー変なの!」
「その通り、全く変な事だらけだね。」

Wet back, dry food.
濡れた背中に乾いた足、というわけだね、と私達は言った。後にアメリカとキューバ間のその合意は60年代からあると知った。

彼らはそれぞれ、スペイン、イタリアの国籍を取得している。祖父母にヨーロッパ人がいれば渡欧すれば国籍が取れるらしい。スペインの国籍を持っている方はその例ではなく、スペインにいわゆる「不法滞在」し、それでも10年以上スペインに住めば市民権が得られる、というスペインの法律にのっとって国籍取得までこぎつけたという。たった何人かの知人を頼ってよその国へ渡り、仕事を探し、法律の穴をくぐり抜けて身を固め、家族を持ち、、、なんともサバイバルだ。

全く私達は自身の日々諸々の事情に忙しく、世界で起こっている事に無知である。ヨーロッパ人のアジアに対する無知に呆れることが多いが、私自身、反省しなければいけない。しかし自ら国を捨てるということは、どれほどのことだろう。映画の中で年配のミュージシャンが南国の日差しの中、ゆったりと歌を歌って演奏している姿はまるで楽園にいるかのようで、その国に失望して何万もの人が亡命している。

幼い頃の記憶をたどる時にただようあのにおい、故郷を訪ねると必ずよみがえってくる、あのなんとも懐かしく優しいにおいをを封じ込めてしまうとは。

▲ by masakohappymusic | 2013-06-11 16:58 | 日記

暗闇にて   

2013年 03月 03日

電車を降りて駅前の雑多なごちゃごちゃを通り、横断歩道を渡り商店街を歩く。駅から離れて静になるにつれて増す「昭和」度。古い店構えの呉服屋、帽子屋、文房具屋なんかが並んでいる。震災で古いものがなくなってしまった神戸ではもう見かけない懐かしさ。ちゃんと生き残ってくれてるんやね。どんどん歩いてほんまにここであってるんかなと不安になりはじめたころに目印のスーパーあり、その角のこれまた時代を感じるパン屋でパンを購入、そして「暗闇」に到着した。
a0108217_13452232.jpg

噂以上の素敵な空間。古い建物の良きを残して趣向よく改装され、古い物たちが並んでいる。その物たちと一緒に黒いつや消しの、角張ったKAWAIのアップライトピアノ。一目見て、わあ、すごい。こういうピアノに会うと自分はラッキーだと思う。歳は私とおなじくらいか、いやきっとそれ以上、長い時がたった質感をまとっている。初めてでも手になじむかんじ。お互いよく分かるかんじ。これはとても稀。(そして当時のロゴがまた素敵)
a0108217_13441549.jpg

バタバタとリハーサルをしていると、お店のスタッフが二人、ろうそくをつけて並べはじめる。カチッ、、、カチッ、、、とバーナーで火をつけていく。一度でつかないとカチッカチッカチッと連打。カチッ、、、カチッカチッ、、続く手作業。この音も音楽に含まれていく。

ろうそくは100個くらい。ゆらゆら、ゆらゆら。演奏が始まる前から私はもうとても満ち足りた気分になった。押し押しのリハが終わると待ってくれていたお客さんが入って来て店内はすぐにほぼ一杯に。
a0108217_1346834.jpg

ギターもアコースティック、声も生。今回初共演のギターの人の曲が1曲目で、これでこの日の演奏全体のイメージがつくれたと思う。コードのドミソ弾いてるだけで響いてくれる曲って好きだなあ。
自分の曲はいつもリバーブに隠れて歌ってるのにいいのかなって思いつつ、さらにマリンバの残響のないポコポコに乗って歌うのは勇気がいったけど、この暗さからできたんだな。三人が始終音のバランスとタッチにすごく気を配っていて、緊張感とぎれないまま、かつリラックスする感じに、、なったのではないかと思う。

一人でろうそくを片付けているスタッフとしばし話をする。ところであのろうそく、100均とかで売ってる普通のアルミケースに入った円いのなんだけど、透明のプラスチックのケースに入れてからろうそくたてに入れていて(多分安全上の理由?)はずす手間も二倍。お店と暗闇のコンセプトなんかを少し話してくれて興味深かった。いわゆる「ロハス」系の今どきの店だけど、日本はみなすぐハヤリに飛びつくきらいはあるけど、人々がエコや、リサイクルや、手間をかけていいものを作ること、質のいい食材を使うことに興味を持つのはいいことだ。いいものは流行ればいい。スローライフもエコもイクメンもどんどん流行ればいい。

お店でも使っている陶器のろうそくたて三個と波照間島産の黒糖を購入。K号に乗って神戸へ。東から夜走って神戸に帰る、というのも久しぶりで、山すその明かりが見えると懐かしくなった。数年前に書いた曲も、今や演奏するミュージシャンや聴いてくれる人の手によって「大きく」なってることに気づく。自分だけでなく皆の手で。書くのは全くの個人作業で、それを初めて持って行く時なんかは「自分の子供」みたいな感じなんだけど、演奏されるようになると私の手を離れてそれはもうみんなの曲だ。ある年長の人が私が妊娠してた時に「子はええよ。その子はマサコさんの子やけど、世界の子でもあるからなあ!」と言っていて、ほんとにその通りだと思った。私の曲もそんなふうになればいいのにな。
a0108217_13464767.jpg

▲ by masakohappymusic | 2013-03-03 13:55 | 日記

演奏のご案内   

2013年 02月 01日

ライブスケジュールはこちら

お待ちしています☆☆

ブログ日記はこのままスクロールして下さい。

▲ by masakohappymusic | 2013-02-01 02:04 | 日記

CPの思い出   

2012年 11月 26日

〜西宮のジャズ喫茶、ライブハウスのCorner Pocket が惜しくもこの9月に閉店しました。皆それぞれ思い入れのあるお店だったと思います。私の思い出を書いてみました。思い出続きのブログになりましたが、もしよければ読んで下さい〜


初めてCPに行ったのはかれこれ20年以上前、私がまだ10代だった頃だ。その頃はまだジャズ喫茶たるものが健在で、高校生の私は暇にまかせてよく一人でジャズ喫茶めぐりをしていた。元町の「トンボ」や京都の「しあんくれ~る」、そしてCPは私のお気に入りの店だった。

現代美術やらジャズやらを私に紹介したある人が「北口にデュオっていうジャズ喫茶がある」と私をそこに連れて行ってくれた。その人は事前にジャズ喫茶での鉄則たるものを教えてくれた。

私語厳禁。
ある程度長居すること。レコード一枚くらいで帰るのは失礼。
カウンターに座って店の人としゃべったりリクエストしたりできるのは年配の常連客だけ。私達のような「駆け出し」は、注文する時の「コーヒー」と、お勘定の「ごちそうさま」以外店の人とは口をきかない。
音量が大きいので「コーヒー」を「コーラ」と間違えられることがあるから、若干「ヒー」を強調して言う事。

なるほどジャズ喫茶とは上級なとこらしい。その人はジャズ喫茶のマスターは偏固な人ばかりだけど、これさえ守って静かにお茶を飲んでいたら大丈夫と言った。まだジャズを聴き始めの高校生の私には、そんなジャズ喫茶に行くといくことは素晴らしくかっこいいことだった。制服のまま出かけることもあった。三宮や岡本の駅前辺りだと補導の先生に見つかることがあったが、西北の駅のはずれのCPは格好の隠れ場だっし、夕飯の時間までに家に帰るにはちょうどいい距離だった。その当時私がパラゴンのありがたみがどれほど分かっていたかは謎だが、私はだいたい向かって左側のスピーカーの前に座った。その頃のことだから、村上春樹か、シュールレアリズムの本あたりを読みながら、さめたコーヒーをレコード何枚かの時間をかけてゆっくりゆっくり飲んだ。宝塚線の線路沿いにもう一軒ジャズ喫茶があって、そことハシゴしたりもした。例の紹介者が「デュオはマスターの気まぐれでやってるような店だから、二回に一回は開いてない。」と言っていたように、(あるいはその人が不定期な営業時間を把握してなかっただけかもしれない)行っても閉まってることもよくあったが、それもまた「デュオに行く」というかっこいい事の一部だった。

今のように気軽にMP3で音楽を交換できる時代ではない。CDも出始めで高く、中古LPだって学生には安くはないしかさばるから厳選して買わなければいけない。そんな時代のジャズ喫茶は音源収集の為にも貴重な場所だった。レコードが終わり針がカチッと上がって短い沈黙の後、次の盤に針がおちてかすかにプチプチいう時、次は何がかかるんだろう、と待つ。そしてスピーカーから音がざーんと流れて部屋を満たす。あの瞬間が何ともいえない。お店の人が壁にかけたレコードジャケットを替え、それを振り返って見る。もうこれが終わったら帰ろう、と思いつつ終わると次に何がかかるか待ち、あ、これ、聴きたい、もう一枚、とついつい長居してしまう。そうやって深く音楽に浸って時間を過ごせたのは、忙しくてつい「ながら聴き」ばかりしている今となっては本当に貴重なことだ。豊かな時間だった。

私のジャズ喫茶通いはボストンに留学するまで続いた。CPとその後再会するのは、帰国してもっと後のことだった。
ある日、友達のシンガーの家で遅くまでリハーサルをして晩ご飯まで頂いた後、彼女が「CPのオーナー夫妻が届けものに寄ってくれるから、マサコさん、紹介するわ」と言った。その頃私は演奏ではまだCPと縁がなかったので、それは是非に、とお願いした。「めっちゃいい人やで」と彼女は嬉しそうに言ったが、私の中にはまだ、ジャズ喫茶マスター=偏固、という図があったので、これは気をつけて丁重に挨拶せねば、と少々構えていた。
ところが友達が戸を開けた時玄関口に立っていたのは、「偏固」とは程遠いニコニコ夫婦だった。あれれこれは昔の記憶とは違うな、と戸惑いながらどうもはじめましてなどど私が言うと、ああ浜村さんですかお話はいろいろきいてますまた是非うちにも来てくださいね、と夫婦はにこやかに言った。全く肩すかしを喰らったようだった。
実は高校の時よくお茶飲みに行ってたんですよ、と言うと、ああ、〇〇の制服で来てた、、よく覚えてるわー。とのこと。おそらくその私学女子校の制服で来てたのは後にも先にも私だけだったんだろう。

その後何度も演奏でお世話になるようになった。CPは学生も、プロも、スタイルも問わず全てのミュージシャンを公平に迎えてくれた。レコードを聴きにきて座っていた私が、ステージに立つ側になった。
曲間に客席に向いた時、カウンターの向こうにはニコニコ夫婦が目をキラキラさせて立っている。生のライブを何百回、いや、千回単位で聴いてるだろう彼らなのに、まるで初めてライブに来た若者のように。演奏そのものも思い出深いが、CPといえば私にはその光景が真っ先に思い出される。
そして本を読みながらお茶を飲んでいた高校生の私。
螺旋階段を上がってドアを開ける、こじんまりして、アットホームで、それでいて音に真剣なあの小さな空間は、いつまでも私達の中にあるだろう。

▲ by masakohappymusic | 2012-11-26 01:38 | 日記

ましろなみみになりたい   

2012年 10月 08日

真白な耳になりたい

真白な耳になったら
鳥のさえずりにも
木々のささやきにも

邪魔されずに

真白なままでいたい
a0108217_18183135.jpg

▲ by masakohappymusic | 2012-10-08 18:19 | 日記

Bookstore Blue   

2012年 08月 21日

両親が30年ほど営んだ書店をついに閉店した。もう歳やしそろそろゆっくりしたら、と私は数年言い続けていたのだが、本人達はボケ防止と運動のためやと細々と続け(実際なかなかやめるふんぎりがつかなかったのだろう)やっと今年決心がついたらしい。

父が西宮の小さな下水道設計の事務所をたたんで家族が神戸に越して来たのは、私が10歳の時だった。当時は右肩上がりの80年代。商店街の、いわゆる「町の本屋さん」でも結構売れたみたいだ。夜、父が帰って来て、「○○銀行」の名前の入った分厚い布地の袋に入れた売り上げをテーブルの上にじゃらじゃらと出したら、小銭を種類ごとに分けて10枚ずつ積み上げて数えた。今日の売り上げ○○円!と、表につけたり、商売を始めるには借金もあっただろうに、小学生の私は両親の苦労も知らずに無邪気な「お店ごっこ」を楽しんでいたような、そんな覚えがある。

高校卒業から二十歳すぎまで、ほとんど毎日店で午前中バイトをした。週刊誌の束をほどき、付録付き月刊誌の付録をはさんで紐で縛り、返品の伝票を書いて箱詰め、棚卸し、などなど、本屋はレジで座ってるだけではなく裏仕事がたくさんあった。母が昼前に店に来るまで無口な父と淡々と仕事をした。父はよく働く人で、定休日もなしで何年も午前10時きっちりに開店し、夜は9時ぐらいまで店を開けていた。

震災で全壊した店を建て替えた時に、いずれ私が留学を終えて帰ってきたらしばらく使えるようにと、その3階にキッチン付きの部屋をつくってあった。私はすぐに引っ越そうと思いながら、いったんピアノを入れると動きにくくなり、結局10年以上もそこにお世話になってしまった。若い頃はジャズミュージシャンの常で遅寝遅起きをしていたので、朝10時の開店時の勢いのいいシャッターの音で目をさましたものだった。父はだいたい開店前に裏仕事をしに来ていったん家に朝食に戻り(実家はすぐ近くだったので)10時にまた来て店を開けていた。父の乗ってくるバイクのブブブブブーという音が近づき、店の脇の路地に停まる。そしてすり足で歩く(父はいつも雪駄をはいて武士みたいにすり足で歩くのだ)ズルッ、ズルッ、ズルッ、という音が聞こえ、ガラガラガラッとシャッターの音。ブブブブブー、ズルッ、ズルッ、ズルッ、ガラガラガラッ。閉店の時逆だ。ガラガラガラッ、ズルッ、ズルッ、ズルッ、ブブブブブー。本屋の思い出は、働き者の父の思い出で、それはこの音に要約されている。

少々うるさいシャッターの音だったが、いつか店をたたんだらこの音が聞こえなくなるんだなあ、と時々漠然と思った。そしたらさみしいんじゃないかと。結局私は閉店の一年程前に引っ越したので、これが最後だと意識してその音を聞かなかったようだ。

本も本棚もなくなったがらんどうの店は、思ってたより狭く、白い箱のようだった。この白い箱の中でたくさんの本と人が、入っては出、入っては出、したんだなあ、と自分の店でもないのに感慨深く思った。いろんな場所行き、いろんな人と仕事をする私と違って、毎日毎日この店で顔を合わせながら仕事をしていた両親。こつこつと黙って働く父は時には無愛想に見えたが、その分商売人を親に持つ愛想のいい母が接客をカバーしていた。店をするには理想的な組み合わせの夫婦だろう。無愛想な旦那とニコニコ奥さん。店を始めた頃は今の私と近い年齢で働きざかりだった彼らも、もうすっかりおじいちゃんおばあちゃんになってしまった。ほんとうにもう働きすぎなくらい働いたよ。お疲れさま。もうこれからはゆっくりのんびりして下さい。

最近はネットで何でも買えるし、若い人はコンビニで雑誌を買う。本を手に取って買うのが好きな人もいるが、そういう人は品揃えのいい大型書店に行く。今や本一冊ダウンロードまでできてしまう。商店街の書店もどんどん消えていって、うちが最後の一軒になっていた。本屋だけではないが、小売店はこれからさらに姿を消すだろう。私がバイトしてた頃は、客がレジに並んだりすることもあったのに、最近は「もう立ち読みもおらへんわ!」と笑いながらぼやいていた母。これも時代。ぎっしり本の並んだ本棚、店の奥に積まれた荷物の箱、階段に所狭しと積まれたコミック本を見ながら毎日3階への階段を昇り降りしていた私自身もまた、思い出になる。

▲ by masakohappymusic | 2012-08-21 03:19 | 日記

12345次へ >>>

   


ピアニスト浜村昌子Blog
by masakohappymusic
プロフィールを見る
画像一覧
更新通知を受け取る

カテゴリ

Live Schedule
日記

以前の記事

2018年 09月
2018年 03月
2017年 11月
2017年 08月
2017年 06月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 09月
2016年 04月
2016年 01月
2015年 10月
2015年 07月
2015年 05月
2015年 03月
2015年 01月
2014年 09月
2014年 07月
2014年 05月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 06月
2013年 03月
2013年 02月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 08月
2012年 05月
2012年 04月
2011年 12月
2011年 10月
2011年 03月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月

その他のジャンル

  • 1 語学
  • 2 スクール・セミナー
  • 3 スピリチュアル
  • 4 コスプレ
  • 5 科学
  • 6 歴史
  • 7 介護
  • 8 金融・マネー
  • 9 部活・サークル
  • 10 政治・経済

ファン

記事ランキング

  • 2018 四月〜 4/2(月)武庫之荘 M...

  • 「思い出の日」 見知らぬ男の人がやって来...

  • 「あかるくなってる」 「あかるくなってる」 ...

ブログジャンル

画像一覧

エキサイト
XML | ATOM

Powered by Excite Blog

個人情報保護
情報取得について
免責事項

ファン申請

※ メッセージを入力してください